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初めまして、先日復刻版時刻表を購入して何とか当時の映像を見られないかと探していた所こちらに行き着きました。まだ食パン電車や413系は走っておらず客車列車が走ってる所が新鮮ですね。当時は既に国鉄も赤字でストライキもしょっちゅう起きてましたが、在来線はまだ活気があって食堂車が連結されていたりバラエティ豊かな車両が走っていたという意味では当時の撮り鉄は面白かっただろうなと思います。
それは、言えるかもしれませんね。今では521系の塗装違いのバラエティーくらいですからね。それも、やがてJR塗装はなくなり、ますますつまらなくなりそうです。唯一貨物が楽しみの一つかも。
そうですね。私のホームページに、せめてもの写真が少しありますよ。1974年の余呉と近江塩津で撮影した写真なのです。特級 雷鳥が米原を通っていた頃のしゃしんです。湖西線は、工事中の時でした。
1:14~ 「長大の鈍行列車」懐かしい^^。最後尾、、連結部ドア開放・・・ユルイ時代でしたねぇw。
メッセージありがとうございます最後部のドアーも、乗降ドアーも開放でした。
確か、、トイレの「排泄物」も・・・線路に撒いていたのでわぁ^^。
そうなんです。トイレの便器から線路の砂利が見えました。だから、「停車中に使用しないでください」って書いてましたね。
junhk5bさん メッセージありがとうございます。スロ&スロフ81ですか。情報、ありがとうございます。なにしろ、あまり縁の無い車輌は良く分からないので。模型で、国鉄時代の北陸本線を再現しているのですか?すごいですね。北陸本線にこだわりがあるようですね。どんな風景を再現しているのですか?私も模型をやりますが、国鉄時代やら、近鉄やら、ごちゃまぜなんです。学生時代に作ったキハ28・58のHOペーパ車体があるのですが、それをつぶして真鍮で別車輌を作ろうかとも思ってるのですが、なかなかRUclipsが忙しくて、模型まで手が廻りません。
またまた素晴らしい動画ですね。急行「大社」ならキロ28がつながっていて,なおかつ名古屋~米原経由だったと思うのですが……。
この「大社」(福井編成)を交える1日の運用スケジュールは以下の通りでした。東舞鶴(わかさ1号)福井(大社)天橋立(大社)福井(わかさ4号)東舞鶴そんなこともさることながら「わかさ」1・4号は南北直通の役割を果たしていただけあって、朝6時台後半に東舞鶴を出発し、夜9時過ぎに再び東舞鶴に戻ってくるダイヤを組んでいたため、嶺南西部から県都福井市へのビジネス客には実に重宝されていたのでしょう。東舞鶴~福井間約2時間40分。
途中で「大社」が出てきますが、出雲市・大社行きの「大社」は名古屋から来ていたはずです。すなわち、敦賀でこれらが一緒になった後、福井発の「大社」は天橋立止まりとなっていたようです。名古屋から大社までは驚くなかれ11時間。その頃は「わかさ」にも綾部経由京都行きがありました(敦賀発9:17 京都着12:59)。それが2003年春に「リバイバルわかさ」として京都~綾部経由敦賀間に全席指定で運転されたことは前代未聞の出来事でした。
メッセージありがとうございます。実は、この時代の大社のダイヤに関しては、私もよく分からないまま、ただ北列車を撮影していました。詳しい情報をありがとうございます。もっと昔なんですが、私が学生時代に、城崎から金沢まで大社に乗った事があるのです。たぶん、名古屋行や名古屋からの列車との併結だったと思うのですが、とにかく出雲市から金沢までの列車がありました。私の乗った車両は、車内放送のスピーカーが壊れていて、城崎から金沢までの走行音を録音したにもかかわらず、車内放送が入っていなかったのでどこを走っているかわからないために、消去してしまいました。当時は、九州からさんべ 大社 しらゆき とキハ28・58系で日本海を3つの列車で旅が出来たのですね。でも、九州から青森までっずっとキハ28・58に乗るのは、よほどキハ28・58が好きな人でないと飽きてしまうかもね。
懐かしの映像ですね。。この当時の 雷鳥は グリーン車 2両食堂車が 連結の 豪華特急ってイメージが ありました!雷鳥の車両は ボンネットタイプが主流でしたよね。。北陸急行は当時 半室ビュッフェ車は連結されていたのでしょうか??
この当時は、これが、当たり前の編成でした。ただ、関東方面の特急はグリーン車は1輌だったかもしれません。でも食堂車は、連結されていました。 急行は、半室ビュッフェは、この当時は連結されていなかったように思います。もう少し前なら、連結されてて、営業はしていなかったような感じですね。急行のビュッフェは、早くに営業をしなくなったようにも思います。
この上り224列車いつも通学で乗ってました。発車するとき車掌さんが「上り224機関士どうぞ」とトランシーバーで呼びかけると「はい、上り224機関士ですどうぞ」と返答があります。そして車掌さんが「はい、上り224発車~!」と号令をかけると「ピ~~~」って汽笛がなって「ガシャーン」と列車がゆっくりと動き出しましたね。それを毎日のように聞いていたので懐かしいかぎりです。その列車が動画で残されていたとは。私自身の最高の思い出の列車です。今は亡き父、88歳の母とも福井へ遊びにいくとき、母方の実家に行くときのよく乗りました。
メッセージありがとうございます。そうそう、トランシーバーのやり取り、懐かしいですね。北陸新幹線が開業するまでは、北海道へ行く列車がやってましたね。「下り8001列車機関士どうぞ」・・・・・それも、もう思い出になってしまいましたね。
こんにちは、メッセージありがとうございます。まず、七尾線に113系から改造の415系が走っています。それも近鉄みたいなマルーンで。それと、金沢から直江津方面には、まだ475系、413系が走っていますよ。特急は、485系の白と薄い緑の車輌が走っています。特急北越の新潟行きです。城端線と氷見線はちょっと見る機会が無いので分かりません。今なら、金沢以東が貴重かもね。それと、個人的に思うのですが、681系がそろそろ貴重になってきたかもしれません。
残念ながら七尾線を約30年間走り続けてきた415系800番台は2021年3月、521系100番台に後継を託して退役しました。その521系100番台最大の特徴は、車内乗車口と運賃箱にICOCA対応機器が設置されていることです(有人駅では当然の如く縦型のカードリーダーで対応)。その帯色にもなっている臙脂色ならぬ茜色は、輪島の漆塗りをイメージしたものです。
国鉄時代の鉄道ファンさん記念の最初の動画ですね。昔は色々と旧型客車が走っていたのですね。私が生まれる遥か昔中は数多くの名車が走っていてどれもカッコいいですね。
これ、最初ではないのです。最初に作った動画は、音楽が、著作権フリーサイトからダウンロードしたにもかかわらず、著作権侵害と言われたので、あっさりと削除しました。最初の動画は、北陸本線の動画だったのです。まあ、最初なので、撮り方も下手だし、あまり良い動画ではないのでね。
@@HobbyVideos すいませんでした。勘違いでした。
いえいえ、気にしなくて良いですよ。
先程と同様の事例は滋賀県内にも。1991年9月の米原~長浜間に続き、2006年10月の長浜~敦賀間の直流化で走る車両は223または225だらけに。当時の面影は知る由もない。
今庄を通過する金フイのお座敷列車の画像、これは大変貴重なものですよ。 私の知る限り走行画像はこれしか無いでしょうね。しかも機関車の次位が6号車(スロフ81-2102 越後)で最後部が1号車(スロフ81-2101 若狭)、本来の編成向きが逆ですね。6年前のお座敷列車製作時期に走行画像を見ていたら、なお一層良かったのではと思います。 この製作記事はネコパブリッシングのクラフトモデル7に掲載されていますので、金沢のうつのみや書店辺りの大きな書店にて立ち読みで結構ですので御笑覧ください。足回り関係は日光の台車を加工し、スパイクモデル部品を組み合せています。 13mm用の部品は昔に比べると多くなりましたよ。今現在、当工場で製作する、またこれから製作予定の形式に使用する部品はほとんど商品化されていますが、されていなければ自分で作るのです。 それも無理ならスパイクモデルに頼んで作って貰うなりしていますね。 こことも32年来の付き合いなので(笑)。
+松任工機部 さん メッセージありがとうございます。お座敷列車は、あまり詳しくなく、来たから撮影したって言う感じなんです。特にそれを狙って行ったわけでもないのです。この当時は、ビデオを買っですぐの時だったので、とにかく何でも良いから撮影したいと思って、まずは地元の北陸本線を撮影してみました。動画を撮影するのも、初めてだったので、カメラワークも下手でとにかく、必死に撮影しました。模型の方は、お金もかかるので、ぼちぼちとやっています。これまでは、16番の模型をやっいて、去年ころから13mmをやり始めたので、ほんと0からのスタートみたいなものです。あるのは、16番の車体のみ。って感じですね。家に、EF50があるのですが、どうも13mmniに出来るかと言うところですね。DD51でも良いのですがね。日興の台車とスパイクモデルですね。私は、今の所、カツミの台車にエンドウのボルスターと車輪を付けています。スパイクモデルも見てみたいのですが、イモン以外にも扱っているお店あるかな?
メッセージありがとうございます。急行「大社」なんですが、当時の時刻表によると福井 10:26 発と名古屋 9:30発が敦賀で連結されて、天橋立に行くみたいです。名古屋 出雲市間は401D列車福 井 敦賀間は4401D列車 福井発の車両は天橋立止まりみたいです。名古屋発の車両は、大社まで行くそうで、出雲市 大社間は421D列車だそうです。編成は、名古屋から5両 福井から3両で指定席 グリーン 自 自 自 | 自 自 自←大社・天橋立行 名古屋・福井行→だそうです。私が撮影したのは、後ろ3両の福井発天橋立行だったんですね。
国鉄時代の鉄道ファン
急行大社は意表をつく重層列車 名列車ですね。ラブストーリーをおりなしたかも!縁結びの神様出雲大社にふさわしい。
メイン編成は名古屋を朝9時台(だったかな)に出発して米原と敦賀でスイッチバック。敦賀で福井発のサブ編成を出迎えてドッキング。一路天橋立へ(但し上り列車のみ本来の急行停車駅だった上中と若狭本郷は通過)。天橋立で福井発のサブ編成とさよならして名古屋発のメイン編成のみで宮津線を力走、豊岡で3度目のスイッチバック。山陰本線をさらにさらに突き進んで最終的に大社には20時31分に到着するというものでした。
そんな感じですね。
ちょうどこの年の夏休みに森田の橋梁近くで伯父と鮎釣りをしていました。急行「大社」なつかしいなぁ三方五胡に遊びに行った時乗りました。帰りは敦賀でわざわざ特急「白鳥」にのるために時間調整したり思い出がいっぱいです。581系の「雷鳥」も貴重でこのちょっと前の「金星」の間合い「しらさぎ」も狙って乗りました。つい最近まで「きたぐに」が走っていたのに乗れなくなってしまい寂しいです。この10年ちょっとの間に子供の頃当たり前に走ってた車両がどんどん廃車になってしまい残念です。もう残ってるのは長野の189系ぐらいかな?廃車も時間の問題で寂しい限りです。
メッセージありがとうございます。まあそう考えると、寂しいですが、これから新幹線が金沢から敦賀、大阪へとつながるともっと変わってしまいますね。いや、もう既に子どもの頃当たり前に走っていた車両が走っていない。これはもう新幹線が開通しても、同じかもしれませんね。今度は、今の子どもたちが、大人になった時、サンダーバードやしらさぎの68系が走らなくなり、同じ事を思うのかも知れませんね。 私が高校卒業の時、山陽新幹線が開通しました。それまで走っていた しおじ、みどり、かもめ等、全て山陽本線から消えたのです。それに比べると、北陸は、何十年もの遅れているとも言えますね。
@@HobbyVideos 広島県からついに特急が消えてしまいましたね。ものごころついた頃には新幹線が岡山まで開業していましたので「かもめ」や「みどり」は後年九州で乗りました。僕の世代からすると「しおじ」「はと」「つばめ」などの山陽特急は写真の世界でしか知りません。黄金期をご存知でうらやましいです。
山陽特急の黄金時代、私も最後の日に撮影に行きました。当然、写真でしか撮影していませんが、遠い思い出です。
列車番号????のEF70牽引の列車はお座敷列車ことスロ&スロフ81形客車です。模型で国鉄時代の北陸本線を再現!?してる者としてはこの動画は教科書その物です!!色んな動画楽しみにしてます♪
米原経由の「ゆのくに」や湖西線経由の「立山」にはサロがつながっていたのに、米原始発の「くずりゅう」にはサロなし。短距離急行だから致し方のないことだったのでしょうね。手元に有る古い1980年10月当時の時刻表を見ると、「ゆのくに」は敦賀を9:07に発車するのに、「ゆのくに」の5分後に発車する「雷鳥2号」の約40分後に大阪へ着くという、極端に遅い急行でもありました。その「ゆのくに」は米原での新幹線東京方面接続はほぼ考慮されていなかったようです。
メッセージありがとうございます。私も、急行が走っていた当時、大阪から立山に乗って金沢へ行きました。それが、湖西線を走る時の速度がとっても遅く、これ急行?って疑いたくなるような速度で走っていました。スピードメーターを見たわけではないですが、体感的に、50(km/h)くらいかなって感じました。何か、トラブルでも有ってゆっくり走っているのかなって思ったあのですが、そうではなく、ちゃんと停車駅には定時到着だったのです。おっしゃるように、新幹線の接続が考慮されていなかったり、とにかく、北陸本線の急行は、サービスが悪かったように思います。
@@HobbyVideos 何しろ当時の急行「立山」は大阪~近江今津間におきまして、現在の223or225系新快速とほぼ大差ない所要時間(約1時間20分)で走っていましたよ。米原折り返しの急行「くずりゅう」は特急「加越」「しらさぎ」とともに米原で新幹線東京方面との接続をきちんと意識して設定されていました。
けいせんさん メッセージありがとうございます。正解です。名鉄8000系の特急北アルプスです。この時のビデオもアップしようと準備をしているのですが、なかなか当時のデーターがあいまいで、今、当時の高山線のダイヤを作成中です。また、築堤って川の堤防の事かな?特に問題なかったですね。あまり鉄ちゃんも少なかったし、線路の横で撮影していてもそんなに問題はありませんでした。 今は、うるさすぎるみたいですね。 鉄道もそうですが、今はビデオの撮影しにくい時代になりました。たとえば、子どもを連れてプールに行って子どもを撮影していたら、係員が女の人のいやらしいビデオを写しているのではないかと注意されたり、駅で電車を撮影していても、女の人を撮影しているのではないかと注意される時代。 いやな時代になりました。
***** さんメッセージありがとうございます。うわ~!8800系は、分からないですわ。とにかく、特急ひだが、82型が引退してから、まったく高山本線には撮り鉄に行ってないのです。 鉄オタに厳しいと言うことなんですが、まったくその通りですね。聞いた話ですが、大阪駅でカメラを持って撮影していると、目の敵にされるとか。特に、西日本は、窓から顔を出して撮影するとだめみたいですね。
***** さん メッセージありがとうございます。大阪駅の話は、私はある鉄ちゃんから聞いた話なのですが、その話を聞いていたのですが、私も大阪に行く機会がたまたまあったので、大阪駅で撮り鉄をして見ました。当時は、もう15年前くらいなのですが、まあマナーを守って撮影しているとまったく何も言われませんでした。たまたま、キハ181系の山陰方面へ行く列車が入ってきたので、入線シーンを撮影していたら、後ろから4両目くらいの方向幕がシュプールになっていたので、車掌に教えてあげたら、発車の時、発車シーンを撮影していた私に手を上げて挨拶していきましたよ。 目の敵にされると言うのは、本当に利用する乗客の事を考えないで自分の事しか考えずに写真を撮影するような人が目の敵にされるのだと思うし、カメラを持っている人がほとんどがそんな人ばかりになってきているのかも知れませんね。
自分の出身の赤羽駅で一番好きだったのは、くずりゅうの車輛の塗色の列車でした。形式は不案内なんですが、高崎線とは異なる、でも遠くまで走ってそうな、この列車が踏切を通過するときは見入ってましたね。国鉄時代、リバイバルとは異なる輝きがありますね。
メッセージありがとうございます。くずりゅうのカラーは、急行型の緑とオレンジ色の車両とほぼ同じなのですが、電気が交流区間も走れる車両で、エンジとクリームの色になっています。つまり、交流区間は、黒磯から先、青森まで走れる列車なので、想像通り、遠くまで走れる列車なのです。緑とオレンジ色の車両は、直流の車両なので、黒磯までしか走れないのです。
なるほど。。自分の想像は間違ってなかったんですね。すごくわかりやすくご説明いただきありがとうございます!
どういたしまして!
旧型客車めちゃくちゃカッコいいですね
そうですか!大井川鉄道で走っていますよ。
今では福井県内を走る車両はどこを見渡してもJR世代の車両だけになってしまいましたよね。特に直流化された敦賀以南では521の2連に加え、223や225の4連も共演。10年前に電化された小浜線でさえも125を導入し国鉄型DCをほぼ一掃。石川や富山県内だったら国鉄型はまだ走っているようですが。
大社号!一回(往復)乗りました。程なく名古屋?始発に変わりました。
そうですか。当時は、大社は、金沢と出雲まで走っていたように思います。この当時、青森から金沢までキハ58系のしらゆきに乗り、金沢から出雲までキハ58系の大社にのり、出雲から九州までキハ58系のさんべに乗って、全部キハ58系で旅をすることができましたね。それも、2回の乗り換えで。当然金沢と出雲では宿泊が必要だけど。
1981年ってまだまだ北陸本線でも旧型客車が現役だったのですねぇ
そうなんです。もし北陸本線が直流電化だったら、旧型国電などがいっぱい走っていたでしょうけど、交流電化だったため、気動車が旧型客車だったのです。快速や普通で急行型の475系も走っていました。
この時代は、ローカル列車でも10両編成とかいうのが凄いですねー。人は乗ってるんでしょうか?
人は、あまり乗っていませんでした。ローカルは。でも通勤時間帯は超満員でした。
@@HobbyVideos そうだったんですね、ありがとうございます。昔はまだそれ程車社会でもなかったんですかね。
いやいや、田舎はもう車社会でしたよ。
付属編成という事ですね。
日付がおかしいよ。この年は56豪雪で、福井市で最大積雪量2.2m。今庄であれば3mの雪の壁。当時受験生でこの付近を加越で通過しているからはっきり覚えている。こんなに雪が少ない訳がない。
そうですか!
今日私は図書館で雷鳥9号殺人事件の本を読みました
+タツヒトミナミ さん メッセージありがとうございます。推理小説ですか?映画化されてないですよね。
+国鉄時代の鉄道ファン さん 昭和62年にドラマ化されましたよちなみにドラマは485系です
+タツヒトミナミ さん メッセージありがとうございます。ドラマですか?テレビのドラマかな?この手のドラマって結構列車がいい加減な列車を撮影しているよな事が多く見受けられるのは私だけでしょうか?、このドラマはちゃんと撮影されていたのかな?ボンネットが写っていたり、200番代が写っていたりと言うような事はなかったかなって思います。余談ですが子どもの頃見たテレビの刑事物のドラマですが、湘南色の電車内での事件の物語なのですが、153系が写ったり113系が写ったり80系が写ったりとめちゃくちゃでした。まあ、色だけは同じ色だったのですがね。映画だと、それなりのこだわりのある監督だ作れば、ちゃんとした列車でたとえばボンネットだったらボンネットばかりでの映像で作ると思うのですが、テレビのドラマはどうなのかな?それと、またまた余談ですが、今のテレビのドラマは、刑事物でもなんでもですが、やたらBGMを多用しすぎだと思います。始めっから終わりまでBGMに浸かっているような気がするのは私だけかな(笑)
1981年って……国鉄じゃないの?
はい、国鉄です。
普通で10両か…今では考えられない
10輌って旧型客車ね。まあ色々ありましたけど。でも電車は6輌でした。
初めまして、先日復刻版時刻表を購入して何とか当時の映像を見られないかと探していた所こちらに行き着きました。
まだ食パン電車や413系は走っておらず客車列車が走ってる所が新鮮ですね。
当時は既に国鉄も赤字でストライキもしょっちゅう起きてましたが、在来線はまだ活気があって食堂車が連結されていたりバラエティ豊かな車両が走っていたという意味では当時の撮り鉄は面白かっただろうなと思います。
それは、言えるかもしれませんね。
今では521系の塗装違いのバラエティーくらいですからね。
それも、やがてJR塗装はなくなり、ますますつまらなくなりそうです。
唯一貨物が楽しみの一つかも。
そうですね。
私のホームページに、せめてもの写真が少しありますよ。
1974年の余呉と近江塩津で撮影した写真なのです。
特級 雷鳥が米原を通っていた頃のしゃしんです。
湖西線は、工事中の時でした。
1:14~ 「長大の鈍行列車」懐かしい^^。
最後尾、、連結部ドア開放・・・ユルイ時代でしたねぇw。
メッセージありがとうございます
最後部のドアーも、乗降ドアーも開放でした。
確か、、トイレの「排泄物」も・・・線路に撒いていたのでわぁ^^。
そうなんです。
トイレの便器から線路の砂利が見えました。
だから、
「停車中に使用しないでください」
って書いてましたね。
junhk5bさん メッセージありがとうございます。
スロ&スロフ81ですか。情報、ありがとうございます。なにしろ、あまり縁の無い車輌は良く分からないので。
模型で、国鉄時代の北陸本線を再現しているのですか?
すごいですね。北陸本線にこだわりがあるようですね。どんな風景を再現しているのですか?
私も模型をやりますが、国鉄時代やら、近鉄やら、ごちゃまぜなんです。
学生時代に作ったキハ28・58のHOペーパ車体があるのですが、それをつぶして真鍮で別車輌を作ろうかとも思ってるのですが、なかなかRUclipsが忙しくて、模型まで手が廻りません。
またまた素晴らしい動画ですね。
急行「大社」ならキロ28がつながっていて,なおかつ名古屋~米原経由だったと思うのですが……。
この「大社」(福井編成)を交える1日の運用スケジュールは以下の通りでした。
東舞鶴(わかさ1号)福井(大社)天橋立(大社)福井(わかさ4号)東舞鶴
そんなこともさることながら「わかさ」1・4号は南北直通の役割を果たしていただけあって、朝6時台後半に東舞鶴を出発し、夜9時過ぎに再び東舞鶴に戻ってくるダイヤを組んでいたため、嶺南西部から県都福井市へのビジネス客には実に重宝されていたのでしょう。東舞鶴~福井間約2時間40分。
途中で「大社」が出てきますが、出雲市・大社行きの「大社」は名古屋から来ていたはずです。すなわち、敦賀でこれらが一緒になった後、福井発の「大社」は天橋立止まりとなっていたようです。名古屋から大社までは驚くなかれ11時間。その頃は「わかさ」にも綾部経由京都行きがありました(敦賀発9:17 京都着12:59)。それが2003年春に「リバイバルわかさ」として京都~綾部経由敦賀間に全席指定で運転されたことは前代未聞の出来事でした。
メッセージありがとうございます。
実は、この時代の大社のダイヤに関しては、私もよく分からないまま、ただ北列車を撮影していました。
詳しい情報をありがとうございます。
もっと昔なんですが、私が学生時代に、城崎から金沢まで大社に乗った事があるのです。
たぶん、名古屋行や名古屋からの列車との併結だったと思うのですが、とにかく出雲市から金沢までの列車がありました。
私の乗った車両は、車内放送のスピーカーが壊れていて、城崎から金沢までの走行音を録音したにもかかわらず、車内放送が入っていなかったのでどこを走っているかわからないために、消去してしまいました。
当時は、九州からさんべ 大社 しらゆき とキハ28・58系で日本海を3つの列車で旅が出来たのですね。
でも、九州から青森までっずっとキハ28・58に乗るのは、よほどキハ28・58が好きな人でないと飽きてしまうかもね。
懐かしの映像ですね。。
この当時の 雷鳥は グリーン車 2両
食堂車が 連結の 豪華特急って
イメージが ありました!
雷鳥の車両は ボンネットタイプが
主流でしたよね。。
北陸急行は当時 半室ビュッフェ車は
連結されていたのでしょうか??
この当時は、これが、当たり前の編成でした。ただ、関東方面の特急はグリーン車は1輌だったかもしれません。
でも食堂車は、連結されていました。
急行は、半室ビュッフェは、この当時は連結されていなかったように思います。
もう少し前なら、連結されてて、営業はしていなかったような感じですね。
急行のビュッフェは、早くに営業をしなくなったようにも思います。
この上り224列車いつも通学で乗ってました。発車するとき車掌さんが「上り224機関士どうぞ」とトランシーバーで呼びかけると「はい、上り224機関士ですどうぞ」と返答があります。そして車掌さんが「はい、上り224発車~!」と号令をかけると「ピ~~~」って汽笛がなって「ガシャーン」と列車がゆっくりと動き出しましたね。それを毎日のように聞いていたので懐かしいかぎりです。その列車が動画で残されていたとは。私自身の最高の思い出の列車です。今は亡き父、88歳の母とも福井へ遊びにいくとき、母方の実家に行くときのよく乗りました。
メッセージありがとうございます。
そうそう、トランシーバーのやり取り、懐かしいですね。
北陸新幹線が開業するまでは、北海道へ行く列車がやってましたね。
「下り8001列車機関士どうぞ」・・・・・
それも、もう思い出になってしまいましたね。
こんにちは、メッセージありがとうございます。
まず、七尾線に113系から改造の415系が走っています。それも近鉄みたいなマルーンで。
それと、金沢から直江津方面には、まだ475系、413系が走っていますよ。
特急は、485系の白と薄い緑の車輌が走っています。特急北越の新潟行きです。
城端線と氷見線はちょっと見る機会が無いので分かりません。
今なら、金沢以東が貴重かもね。
それと、個人的に思うのですが、681系がそろそろ貴重になってきたかもしれません。
残念ながら七尾線を約30年間走り続けてきた415系800番台は2021年3月、521系100番台に後継を託して退役しました。
その521系100番台最大の特徴は、車内乗車口と運賃箱にICOCA対応機器が設置されていることです(有人駅では当然の如く縦型のカードリーダーで対応)。
その帯色にもなっている臙脂色ならぬ茜色は、輪島の漆塗りをイメージしたものです。
国鉄時代の鉄道ファンさん記念の最初の動画ですね。昔は色々と旧型客車が走っていたのですね。私が生まれる遥か昔中は数多くの名車が走っていてどれもカッコいいですね。
これ、最初ではないのです。
最初に作った動画は、音楽が、著作権フリーサイトからダウンロードしたにもかかわらず、著作権侵害と言われたので、あっさりと削除しました。最初の動画は、北陸本線の動画だったのです。まあ、最初なので、撮り方も下手だし、あまり良い動画ではないのでね。
@@HobbyVideos すいませんでした。勘違いでした。
いえいえ、気にしなくて良いですよ。
先程と同様の事例は滋賀県内にも。
1991年9月の米原~長浜間に続き、2006年10月の長浜~敦賀間の直流化で走る車両は223または225だらけに。当時の面影は知る由もない。
今庄を通過する金フイのお座敷列車の画像、これは大変貴重なものですよ。 私の知る限り走行画像はこれしか無いでしょうね。
しかも機関車の次位が6号車(スロフ81-2102 越後)で最後部が1号車(スロフ81-2101 若狭)、本来の編成向きが逆ですね。
6年前のお座敷列車製作時期に走行画像を見ていたら、なお一層良かったのではと思います。 この製作記事はネコパブリッシングのクラフトモデル7に掲載されていますので、金沢のうつのみや書店辺りの大きな書店にて立ち読みで結構ですので御笑覧ください。
足回り関係は日光の台車を加工し、スパイクモデル部品を組み合せています。 13mm用の部品は昔に比べると多くなりましたよ。
今現在、当工場で製作する、またこれから製作予定の形式に使用する部品はほとんど商品化されていますが、されていなければ自分で作るのです。 それも無理ならスパイクモデルに頼んで作って貰うなりしていますね。 こことも32年来の付き合いなので(笑)。
+松任工機部 さん メッセージありがとうございます。
お座敷列車は、あまり詳しくなく、来たから撮影したって言う感じなんです。
特にそれを狙って行ったわけでもないのです。
この当時は、ビデオを買っですぐの時だったので、とにかく何でも良いから撮影したいと思って、まずは地元の北陸本線を撮影してみました。
動画を撮影するのも、初めてだったので、カメラワークも下手でとにかく、必死に撮影しました。
模型の方は、お金もかかるので、ぼちぼちとやっています。
これまでは、16番の模型をやっいて、去年ころから13mmをやり始めたので、ほんと0からのスタートみたいなものです。あるのは、16番の車体のみ。って感じですね。
家に、EF50があるのですが、どうも13mmniに出来るかと言うところですね。
DD51でも良いのですがね。日興の台車とスパイクモデルですね。
私は、今の所、カツミの台車にエンドウのボルスターと車輪を付けています。
スパイクモデルも見てみたいのですが、イモン以外にも扱っているお店あるかな?
メッセージありがとうございます。
急行「大社」なんですが、当時の時刻表によると
福井 10:26 発と名古屋 9:30発が敦賀で連結されて、天橋立に行くみたいです。
名古屋 出雲市間は401D列車
福 井 敦賀間は4401D列車 福井発の車両は天橋立止まりみたいです。
名古屋発の車両は、大社まで行くそうで、
出雲市 大社間は421D列車だそうです。
編成は、名古屋から5両 福井から3両で
指定席 グリーン 自 自 自 | 自 自 自
←大社・天橋立行 名古屋・福井行→
だそうです。
私が撮影したのは、後ろ3両の福井発天橋立行だったんですね。
国鉄時代の鉄道ファン
急行大社は意表をつく重層列車 名列車ですね。ラブストーリーをおりなしたかも!縁結びの神様出雲大社にふさわしい。
メイン編成は名古屋を朝9時台(だったかな)に出発して米原と敦賀でスイッチバック。敦賀で福井発のサブ編成を出迎えてドッキング。一路天橋立へ(但し上り列車のみ本来の急行停車駅だった上中と若狭本郷は通過)。天橋立で福井発のサブ編成とさよならして名古屋発のメイン編成のみで宮津線を力走、豊岡で3度目のスイッチバック。山陰本線をさらにさらに突き進んで最終的に大社には20時31分に到着するというものでした。
そんな感じですね。
ちょうどこの年の夏休みに森田の橋梁近くで伯父と鮎釣りをしていました。急行「大社」なつかしいなぁ三方五胡に遊びに行った時乗りました。帰りは敦賀でわざわざ特急「白鳥」にのるために時間調整したり思い出がいっぱいです。581系の「雷鳥」も貴重でこのちょっと前の「金星」の間合い「しらさぎ」も狙って乗りました。つい最近まで「きたぐに」が走っていたのに乗れなくなってしまい寂しいです。この10年ちょっとの間に子供の頃当たり前に走ってた車両がどんどん廃車になってしまい残念です。もう残ってるのは長野の189系ぐらいかな?廃車も時間の問題で寂しい限りです。
メッセージありがとうございます。
まあそう考えると、寂しいですが、これから新幹線が金沢から敦賀、大阪へとつながるともっと変わってしまいますね。
いや、もう既に子どもの頃当たり前に走っていた車両が走っていない。これはもう新幹線が開通しても、同じかもしれませんね。
今度は、今の子どもたちが、大人になった時、サンダーバードやしらさぎの68系が走らなくなり、同じ事を思うのかも知れませんね。
私が高校卒業の時、山陽新幹線が開通しました。それまで走っていた しおじ、みどり、かもめ等、全て山陽本線から消えたのです。
それに比べると、北陸は、何十年もの遅れているとも言えますね。
@@HobbyVideos 広島県からついに特急が消えてしまいましたね。ものごころついた頃には新幹線が岡山まで開業していましたので「かもめ」や「みどり」は後年九州で乗りました。僕の世代からすると「しおじ」「はと」「つばめ」などの山陽特急は写真の世界でしか知りません。黄金期をご存知でうらやましいです。
山陽特急の黄金時代、私も最後の日に撮影に行きました。
当然、写真でしか撮影していませんが、遠い思い出です。
列車番号????のEF70牽引の列車はお座敷列車ことスロ&スロフ81形客車です。
模型で国鉄時代の北陸本線を再現!?してる者としてはこの動画は教科書その物です!!
色んな動画楽しみにしてます♪
米原経由の「ゆのくに」や湖西線経由の「立山」にはサロがつながっていたのに、米原始発の「くずりゅう」にはサロなし。短距離急行だから致し方のないことだったのでしょうね。手元に有る古い1980年10月当時の時刻表を見ると、「ゆのくに」は敦賀を9:07に発車するのに、「ゆのくに」の5分後に発車する「雷鳥2号」の約40分後に大阪へ着くという、極端に遅い急行でもありました。その「ゆのくに」は米原での新幹線東京方面接続はほぼ考慮されていなかったようです。
メッセージありがとうございます。
私も、急行が走っていた当時、大阪から立山に乗って金沢へ行きました。
それが、湖西線を走る時の速度がとっても遅く、これ急行?
って疑いたくなるような速度で走っていました。スピードメーターを見たわけではないですが、体感的に、50(km/h)くらいかなって感じました。何か、トラブルでも有ってゆっくり走っているのかなって思ったあのですが、そうではなく、ちゃんと停車駅には定時到着だったのです。
おっしゃるように、新幹線の接続が考慮されていなかったり、とにかく、北陸本線の急行は、サービスが悪かったように思います。
@@HobbyVideos
何しろ当時の急行「立山」は大阪~近江今津間におきまして、現在の223or225系新快速とほぼ大差ない所要時間(約1時間20分)で走っていましたよ。
米原折り返しの急行「くずりゅう」は特急「加越」「しらさぎ」とともに米原で新幹線東京方面との接続をきちんと意識して設定されていました。
けいせんさん メッセージありがとうございます。
正解です。名鉄8000系の特急北アルプスです。この時のビデオもアップしようと準備をしているのですが、なかなか当時のデーターがあいまいで、今、当時の高山線のダイヤを作成中です。
また、築堤って川の堤防の事かな?
特に問題なかったですね。あまり鉄ちゃんも少なかったし、線路の横で撮影していてもそんなに問題はありませんでした。
今は、うるさすぎるみたいですね。
鉄道もそうですが、今はビデオの撮影しにくい時代になりました。
たとえば、子どもを連れてプールに行って子どもを撮影していたら、係員が女の人のいやらしいビデオを写しているのではないかと注意されたり、駅で電車を撮影していても、女の人を撮影しているのではないかと注意される時代。
いやな時代になりました。
***** さんメッセージありがとうございます。
うわ~!8800系は、分からないですわ。
とにかく、特急ひだが、82型が引退してから、まったく高山本線には撮り鉄に行ってないのです。
鉄オタに厳しいと言うことなんですが、まったくその通りですね。聞いた話ですが、大阪駅でカメラを持って撮影していると、目の敵にされるとか。
特に、西日本は、窓から顔を出して撮影するとだめみたいですね。
***** さん メッセージありがとうございます。
大阪駅の話は、私はある鉄ちゃんから聞いた話なのですが、その話を聞いていたのですが、私も大阪に行く機会がたまたまあったので、大阪駅で撮り鉄をして見ました。
当時は、もう15年前くらいなのですが、まあマナーを守って撮影しているとまったく何も言われませんでした。
たまたま、キハ181系の山陰方面へ行く列車が入ってきたので、入線シーンを撮影していたら、後ろから4両目くらいの方向幕がシュプールになっていたので、車掌に教えてあげたら、発車の時、発車シーンを撮影していた私に手を上げて挨拶していきましたよ。
目の敵にされると言うのは、本当に利用する乗客の事を考えないで自分の事しか考えずに写真を撮影するような人が目の敵にされるのだと思うし、カメラを持っている人がほとんどがそんな人ばかりになってきているのかも知れませんね。
自分の出身の赤羽駅で一番好きだったのは、
くずりゅうの車輛の塗色の列車でした。
形式は不案内なんですが、高崎線とは異なる、でも遠くまで走ってそうな、
この列車が踏切を通過するときは見入ってましたね。
国鉄時代、リバイバルとは異なる輝きがありますね。
メッセージありがとうございます。
くずりゅうのカラーは、急行型の緑とオレンジ色の車両とほぼ同じなのですが、電気が交流区間も走れる車両で、エンジとクリームの色になっています。つまり、交流区間は、黒磯から先、青森まで走れる列車なので、想像通り、遠くまで走れる列車なのです。
緑とオレンジ色の車両は、直流の車両なので、黒磯までしか走れないのです。
なるほど。。
自分の想像は間違ってなかったんですね。
すごくわかりやすくご説明いただきありがとうございます!
どういたしまして!
旧型客車めちゃくちゃカッコいいですね
そうですか!大井川鉄道で走っていますよ。
今では福井県内を走る車両はどこを見渡してもJR世代の車両だけになってしまいましたよね。特に直流化された敦賀以南では521の2連に加え、223や225の4連も共演。10年前に電化された小浜線でさえも125を導入し国鉄型DCをほぼ一掃。石川や富山県内だったら国鉄型はまだ走っているようですが。
大社号!一回(往復)乗りました。
程なく名古屋?始発に変わりました。
そうですか。当時は、大社は、金沢と出雲まで走っていたように思います。
この当時、青森から金沢までキハ58系のしらゆきに乗り、金沢から出雲までキハ58系の大社にのり、出雲から九州までキハ58系のさんべに乗って、全部キハ58系で旅をすることができましたね。
それも、2回の乗り換えで。当然金沢と出雲では宿泊が必要だけど。
1981年ってまだまだ北陸本線でも旧型客車が現役だったのですねぇ
そうなんです。もし北陸本線が直流電化だったら、旧型国電などがいっぱい走っていたでしょうけど、交流電化だったため、気動車が旧型客車だったのです。快速や普通で急行型の475系も走っていました。
この時代は、ローカル列車でも10両編成とかいうのが凄いですねー。人は乗ってるんでしょうか?
人は、あまり乗っていませんでした。ローカルは。でも通勤時間帯は超満員でした。
@@HobbyVideos そうだったんですね、ありがとうございます。昔はまだそれ程車社会でもなかったんですかね。
いやいや、田舎はもう車社会でしたよ。
付属編成という事ですね。
日付がおかしいよ。この年は56豪雪で、福井市で最大積雪量2.2m。今庄であれば3mの雪の壁。当時受験生でこの付近を加越で通過しているからはっきり覚えている。こんなに雪が少ない訳がない。
そうですか!
今日私は図書館で雷鳥9号殺人事件の本を読みました
+タツヒトミナミ さん メッセージありがとうございます。
推理小説ですか?
映画化されてないですよね。
+国鉄時代の鉄道ファン さん 昭和62年にドラマ化されましたよちなみにドラマは485系です
+タツヒトミナミ さん メッセージありがとうございます。
ドラマですか?
テレビのドラマかな?
この手のドラマって結構列車がいい加減な列車を撮影しているよな事が多く見受けられるのは私だけでしょうか?、このドラマはちゃんと撮影されていたのかな?
ボンネットが写っていたり、200番代が写っていたりと言うような事はなかったかなって思います。
余談ですが子どもの頃見たテレビの刑事物のドラマですが、湘南色の電車内での事件の物語なのですが、153系が写ったり113系が写ったり80系が写ったりとめちゃくちゃでした。まあ、色だけは同じ色だったのですがね。
映画だと、それなりのこだわりのある監督だ作れば、ちゃんとした列車でたとえばボンネットだったらボンネットばかりでの映像で作ると思うのですが、テレビのドラマはどうなのかな?
それと、またまた余談ですが、今のテレビのドラマは、刑事物でもなんでもですが、やたらBGMを多用しすぎだと思います。
始めっから終わりまでBGMに浸かっているような気がするのは私だけかな(笑)
1981年って……国鉄じゃないの?
はい、国鉄です。
普通で10両か…今では考えられない
10輌って旧型客車ね。まあ色々ありましたけど。でも電車は6輌でした。